正木宣のキャリアデザイン&ライフデザイン考察録(仮)

キャリアデザインカタリストが考えるキャリア考察記録。まずは主戦場だった就活から・・そしてキャリア全般、人事まで

なんで仕事って辛いんでしょう・・・と学生に聞かれた時に

何気ない一言だけど、思わず考えてしまった

 大学のキャリアセンターで学生支援のお手伝いをしていた時だ。

企業のエントリーシートの添削を終え、時間があったので、リクエストに応じて模擬面接をした後だった。

 人材系のコンサルティングファームを想定しての模擬面接だった。

 そこで彼女は「何か世の中、皆んな仕事が辛そうで、だからそんな状況を打破したくてこの企業での仕事に魅力を感じたんです」と言った後、でも何で辛いと思えるのでしょう、どう思いますか、と雑談のような感じでタイミング良く聞いてきた。

 ボクは、きっと今の働いている大人で素敵な人が居ないからじゃないか、と答えた

 何か人のことを慮って動くことがとても素晴らしいというような風潮が垣間見える。それは確かに素晴らしいことなのだけど、でも反面KYとか「察する」動きがないとどこか使えないとか、異質だとか、少し変な目で見られる。

 それが行き着いたところが「忖度」社会と言われる今のような気がする。

 

実は時代の変わり目に変化が起こるのかも

 それがいつ頃からだったのか、確かな記憶はないが、バブル崩壊後すぐではなかった気がする。それよりも一旦不況の波が静まって、さあこれからという時、そうリーマンブラザース破綻の時期くらいではなかったか。

 人のことを慮るというよりは、何かあれこれ動向を探るというか、それも先に先に相手が気づかないうちに動くのがいいような。

 窮屈な時代・・・

 長く生きているとさまざまな世相にいきあう。

 モーレツからビューティフルへ、24時間戦えますか、社畜そしてワークライフバランス・・・・世の中を表す言葉も時代によって変遷する。

 

 何か動く時期の反動に静かな時期があって、行き過ぎたから、その反動で抑えよう的な、そんな繰り返しが起こっているように「ワード」の変遷から垣間見える。

 

 ボク自身は、「社畜」という言葉も嫌だし、「ワークライフバランス」という言葉にもむずかゆいものを感じてしまう。

 

 ワークはワークだし、ライフはライフ。ワークは自分のライフの一環でしかないし、ワークをちゃんと仕上げるためには、プライベートつまりは私生活のあり方も大事だし、どちらがどうということはないと。

 でもそうは考えられないのかもしれない。

 よく「滅私奉公」という概念が今も続いている、なんていう論調もあったような。

 

 確かに日本では、どこに帰属しているか、が大事で、◯◯の何々といって、会社や所属している組織が優先されるような気配がある。実はボクは会社を辞めて自分で名刺を作ってその際いくつかの組織名をつけていた。

 でないと、なんとなく相手にしてもらえないようなそんな気もしたからだ。
でも、それがなんだろう。今は個人事業とでもいえる行き方をしているのだからと思い直し最近は名前と住所と連絡先しか書いてない名刺を使っている。

 それもいいや、と思えたことは、実は今、時代の変わり目にさしかかっているのかもしれない。そんな「素」の大人が「カッコいい」と言われるようなそんな世の中になれば、もっと働くことが楽しいと思える時代もくるかもしれない。

 
 漠然とした疑問の言葉だったかもしれないが、そんなことを考えた。